ケビン・ベイルズ『グローバル経済と現代奴隷制』

以前の日記に読みたいと書いた『グローバル経済と現代奴隷制』(ケビン・ベイルズ/大和田英子訳)を読んだ。けっこう時間がかかってしまった。読む前は過酷な労働条件の人達のことなのだろうと高をくくっていたが、まったく違った。著者もそういう人達とこの本でいう「新奴隷制」の奴隷達とは分けるべきだといっている。
「旧奴隷制」は人が人を所有することであり、またそれは合法だった。もちろん現代ではそれは非合法になったが、そのため奴隷制と聞くと過去のものだと思われてしまっているという。「新奴隷制」の奴隷主は所有権を主張しない。それが非合法であるからというのもあるが、所有権があるということは簡単に捨てたりできないということも意味する。「旧奴隷制」ではたとえ奴隷が年老いてもそれなりに面倒は見ていたが、「新奴隷制」では奴隷は使い捨てにされ、絞れるだけ労働力を絞り取ったらあとは捨ててしまう。タイ、モーリタニア、ブラジル、パキスタン、インドの実例が著者の調査により詳しく述べられていて、それぞれ形態や方法が違うのだが、その多くが債務奴隷という形をとっている。返せないような利率の借金を背負わせたり文字を読めないことを利用して契約書にサイン(拇印)させたりする。そうして連れてきた人達を暴力によって働かせ、逃げないようにする。さらに「新奴隷制」が蔓延るところには政治の腐敗が付き物で、警察があてにならないという。実は日本の警察があてにならないこともこの本では言及されている。ある警察の高官は、ロシアから女性が人身売買されていてその情報を提供するといったNPOに対して、そんなものは必要ないと言ったそうである。
奴隷制とは縁がないと思っていた日本にも暴力団に連れて来られた奴隷がいるというのもショッキングだが、それよりもショッキングなことがこの本には書いてある。それは現代のグローバル経済でははるか遠くの国でも資本によって繋がっていて、間接的ではあるが自分も加害者になってしまっているということである。投資ファンドが投資する先はその業務内容より収益を優先しがちなので、奴隷を使うところ(つまり収益が高いところ)へ投資しているかもしれず、自分たちの年金や投資信託のような金融商品がそれに貢献しているかもしれないのだという。さらに消費行動でも気付かずに加害者になっているかもしれない。パキスタンの奴隷は煉瓦を作っているが、もちろん直接日本にいる自分たちが煉瓦を買うことは無い。しかしその煉瓦を使って建てられた工場で作ったものを買っている可能性はゼロではない。
じゃあどうしようもないのかというとそうではなく、いくつかの方法が述べられている。インドの活動家は数年前から手織りの絨毯に「ラグマーク」という奴隷製品でないことを証明するラベルをつけて販売するというキャンペーンを始めたそうだ。消費者への呼びかけでヨーロッパではシェアも伸びているそうだ。アメリカ合衆国では児童労働者がサッカーボールを過酷な環境で作っていたことが問題になり、知識人や市民が企業へ圧力をかけて改めさせるようにしたことがあったという。同じように奴隷を使っている企業に圧力をかけたり、商品を買わないようにするというのも有効なようだ。
この本には今まで知らなかったことが書かれてあり、自分が無知であることがよくわかった。著者も奴隷制については無知であることが1番良くないことだと言っている。知るべきことというのはたくさんあるのだなと思った。

グローバル経済と現代奴隷制

グローバル経済と現代奴隷制